祈り

今日もお越しいただきありがとうございます。お元気ですか?あっという間に8月中旬ですね。前回のブログにお見舞いをいただきありがとうございます。今回は英語ネタがいれようがなくかなり私的な日記なので、興味のない方はどうぞスルーしてくださいネ。

コロナ陽性になって1週間ほどたったぐらいで前回のブログを書いたと思います。熱が引いた後は、とにかく咳がひどく、今週に入ってやっと咳が徐々に収まってきました。「自宅療養じゃなかったと思う」と夫にいわれました。倦怠感もあります。

前回のブログの後、なんとかあのあと観た映画とかもUPしようと思っていたんですが、それどころでなくなり、人生のなかで忘れらないこの夏となりそうです。

私がコロナで苦しんでいる時、母がうちに来れない状態になりました。もともと心臓が弱っている状態なんですが、それ以外にも痛みがともなう症状が出て昨年に手術しました。それが治ってとても喜んでいたんですが、6月にはいってまたそれが悪くなって痛みがひどくなっていました。病院に予約して2回ほど通院した時に私がコロナにかかり、3回目の予約の時は姉に新幹線で朝来てもらって午後までいて犬の散歩に間に合うように帰るということでなんとかしのぎました。

自分の家で過ごして3日ぐらいして、痛みはなくなったと喜んでいたんですが、そこを除いて母の調子が悪くなってきました。私が動けなかったので夫が買い物をして運んでくれてました。

私が陽性から1週間ほどたってなんとか立てるようになったので、母の様子を見に行くと寝込んでいました。熱があるようだったので一瞬コロナではないかと思って鎮痛剤を飲んでもらって、翌日救急に行くと伝えました。翌日になり、歩行がむずかしそうだったので、心配した夫も早めに帰ってきてくれて病院に連れて行こうとしたら、「寝てたら治る。病院は行きたくない」というので、翌日になっても熱が下がりそうになかったら病院に強制的に連れて行くと伝えました。

翌日本人が「病院に行く」と電話をかけてきたので、夫と二人でいつもお世話になっている病院の時間外診療に飛び込みました。

即入院で、先生が「透析が必要です。すでに透析を受けている人の数値のもっともっとひどい状態です。このままでは危ない。なぜもっと早くこなかったのですか?昨日ならまだ見込みが高かったと思います」と言われました。でも心臓が弱いので、透析自体をすることが命を奪う可能性も高い。

姉と叔父にすぐに電話して夫も含めて苦しい延命治療をせずに痛みをとりながら負担をかけずに治療をしてほしいとお願いしました。そのときは夕方になっていたので、姉は甥っ子に犬を頼んで翌日の朝新幹線で来てくれました。

翌日担当の先生の呼ばれて、救急で聞かれたことと同様のことを聞かれました。腎臓を治療すれば心臓が止まるかもしれない。高齢の割にはしっかり話せるが、体の中は限界を超えている状態だと言われました。どこかの治療をするとそれが原因で違う箇所が傷んでしまう状態。

自分がコロナにかからなければ母はもう少し長生きできたかもしれない。泣きながら話を聞きました。せめてもの救いはコロナにはかかっていませんでした。かかっていたらそれこそ命とりだったと思います。

結局痛みをなるべく減らしてあげることを中心に、今一番治療すべきことを、普通の人の何倍もの時間をかけてしてもらう方針に決めました。無理な延命治療をしてチューブをつけっぱなしの状態は避けました。姉はとるものもとりあえず来ていたので、翌日いったん家に戻ってまた来ることになりました。

死を覚悟し最後かもしれないと姉の子供たちに連絡しました。甥っ子は週末に来る予定でした。私の姪っ子は医者なので、話を聞いて仕事の空いた数日後にすぐに来るといい、兄である甥っ子に「週末でなくすぐに行った方がいい」と連絡してくれました。姉が帰った翌日に甥っ子が車で姉をつれてすぐに来てくれました。腎臓の治療をする前に緊急で輸血をしたので、かなり重症だったのだとあとでわかりました。

姉と甥っ子が高速でこちらに向かっている間、母が携帯でなんとか私に電話して言いました。

「もうだめだと思う。話せるうちにできれだけ早く会いに来て欲しい。妹に電話したいけど、手が震えて電話がうまく使えないからこの電話にかけるようにしてほしい。最後になると思う」私の電話は登録してあるので、ボタン一つ押せばかけられます。でもそれすらも何度も挑戦してやっとかかったようです。

動転してて、叔母の電話番号が見つからなかったので、叔父に電話して伝えてもらいました。叔父は数日後にお見舞いにくるつもりだったのを、その日にくると予定を変更しました。

叔父夫妻を駅で拾って病院に行くと、姉と甥っ子はすでに病室に入っていました。

コロナで面会の制限がかなり厳しくて、交代で入りました。

緊急入院した母が一番気にしていたこと、用意してあるお祝い袋にお金をいれて甥っ子に結婚祝いを直接渡したい。入院した翌日に奔走してなんとか現金を私が用意して持って行って震える手で号泣する甥っ子に母が自分で直接渡せました。

家族全員が覚悟しました。

ほんとはだめだと言われていたんですが、毎日病院に通っていました。

入院して数日後、かわりばえしない状態の時に、3時間おきぐらいに母から電話があって、意識が混濁しているのがわかりました。伝えたいことを必死で伝えてきました。認知機能が衰えてしまい、もう前の母ではなくなるのだろうと覚悟しました。

姉としばらく過ごして病院にいく日々だったんですが、家をあけて、犬の世話を実家に戻って仕事をしながら甥っ子がみてくれていたので、姉がいったんまた帰ることになりました。でも、その前に二人でお墓参りに行くことにしました。

父と母のご先祖のお墓も同じお寺にあるので、参った後、叔父の家によって仏壇も参ってすぐに帰り姉を駅まで送りました。

翌日夫と子供と一緒に面会に行くと、

起きることもできず、話すことも困難だった母がベッドで座っていてびっくりました。

偶然だとしても、こういうことがあるから、祈りという行為は存在するんだと思いました。

その翌日は病棟が替わりました。

食事はあいかわらず、食べると吐いてしまい、点滴でしたが、徐々に話し方がはっきりしてきて、歩いたりはできないけど、話している分には以前の母に近くなってきました。

主治医の先生に予約して経過を聞いたら、腎臓の数値は元に戻ったと言われました。

危機を乗り越えてくれました。

だからといって、いったん弱ってしまった体は歩くこともできないし、まだ食事もとれない。心臓もかなりきつい薬を止めているし、痛み止めも復活させるとまたどう転ぶかわらかない。

自分の家で自立した生活はおそらく無理でしょうという判断でした。

もうだめだと思った時に、

どんなふうになってもいて欲しい。電話で声がきけない。電話をして母が電話の向こうにいない時がくると思うと、胸が締め付けられて、息が苦しくなりました。コロナの後遺症もあってほんとに苦しかったです。

これが慟哭なのだと実感しました。

そんな時に、電話で泣いてしまう私のことを思ってすぐに駆け付けてくれた姉。

今回で絆が強まったとお互いに感じています。

今後は仕事をリタイアしてる姉が強い強い味方です。

救われた命。あと数か月だとしても、痛みを減らして穏やかに過ごさせてあげたいです。がんばって子供の成人式と私の卒業証書(修了かな?)を見せてあげたい。

私がコロナにかかり、もともと弱っていた母の容態が急変したので、その間に大学院の担当教官の先生がとても配慮してくださいました。レポートの締め切りも伸ばしてくれて、最後の授業も私のためにリモートにしてくれました。

今は遅れてしまった論文に四苦八苦しながら取り組んでいます。遅々たるあゆみですが、得意の匍匐前進でなんとか歩を進める日々です。。数日に1回しか許されない短い面会時間に合わせて生活しています。母も「娘たちに感謝。娘がいてよかった。ありがとう」といつも言ってくれます。病院の看護師さんたちの献身にも頭が下がります。

 

命について真剣に考えた数週間でした。家族の絆も強まりました。

そしてやっぱり感謝の気持ちが大事だなとさらに思いました。

もう20年近くになりますが、

寝る前にお祈りをします。なにかの宗教といういうのではなく、ただ感謝の意を唱えます。

「今日も一日無事すぎました。ありがとうございました。感謝します。明日も家族みんなと周りのみんなが健康で穏やかで笑ってすごせますように」辛い日も疲れた日も唱えます。

365日欠かさず、子供と添い寝の頃から一緒に唱えて寝ていました。すぐに覚えて一緒に唱えるのがかわいかったです。

祈るから願いが叶うのとかではなくて、

祈る気持ちが大事だと思うに至っています。

こころをやわらかくする気持ち。嫌われても嫌わない気持ち。

そんな気持ちを持てるように今日も祈りたいです。

最後まで読んでくださった方、読んでくださりありがとうございました。

また一緒に頑張りましょうね。

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