2022年の5月

今日もお越しいただきありがとうございます。お元気ですか?私は季節の中で一番5月が好きなんですが、最近の5月はもう夏。地球が熱を帯びてしまっていて小さなころの爽やかな風が頬に当って、その風が木々にも触れてざわざわと会話をしているあの高揚感をあまり感じられなくなってきて残念に思っています。

5月は自分が生まれた月。なのでポエティックしちゃいます。

先生は1学期が一番大変なんじゃないかなとやっていていつも思います。私は一介のしがない非常勤講師ですが、それでも思います。新しいクラス、新しい生徒、新しい教材。新しいスケジュール。半分過ぎるまで軌道に乗らない感じです。やっと慣れてきたかなというところで折り返しあと1か月近くで夏休みです。

誕生日がきて、自分がアラフィフかアラカンか悩むところになってるわけですが、年々体と脳みその反応が悪くなってるのか分かります。その分英語をやっていても、伸びを体感することも減ってます。

リスニングテストを生徒と一緒に解くのですが、どうしても引っかかって取れない部分があります。この部分はシミュレーションをすればこの歳でもどうにかなるのか?と思いながらとにかく一緒に解いてるんですが、

これってリスニングだけの問題じゃないんじゃないかという以前から思う気持ちが強くなってきました。

ザ・処理能力、ザ・集中力が足りないのです。

問題を先読みして、構えて、聴きながら言ってる箇所をスキミングして、設問読んで何言ってたか思い出して解く。その時に目が踊る(笑)

それと、リテンションの能力が低いなあと実感中。要するに認知能力の劣化。リスニングのテストって純粋にリスニング能力だけを測っているのではなくて、リーディングの能力とかを合わせての処理能力で測らないと点数化しにくいものですものね。

これができないとリスニング、英語の能力が低いと言われるのかなとそりゃ落ち込むし、できることに越したことはないですが、

それってテスト以外で今の自分の生活で支障をきたすことがあるのか、とも思っちゃいます。

わからなければ、再度聴き返したりできたりするのがリアル。この間もどうしても言いたい英単語が出てこなくて、「この単語とよくペアで出てくる単語で、ええっと出てこないなあ」といろいろ説明してたら、生徒が類推して言いたい単語を言ってくれたりするんですが、コミュニケーションというのはお互いの知恵を出し合う、私の場合優秀な生徒の頭を借りたわけです。

あと、この間文献読んでたら、久々にtarpaulinという言葉に出会って、その前に出会ったのはもう10年ほど前だったんですが、英語でやり取りして強烈に覚えていました。その時はLife of Piという話をaudiobookで聞いていて、tarpaulinというのがどんなものかなのはわかるけど、そのものの日本語が出てこなくてまわりの英語母語者の同僚に英語で「船を覆うカバーみたいなもので、水気を払うもの、でもビニールって言ってない」と聞いた通りの単語の音を一生懸命伝えて、スペルとイメージを教えてもらったことがあります。この場合は英語母語者の英語の知識を借りたわけです。そのやりとりがコミュニカティブ。

自分が今実践しているのは「ほとんど字幕なし英語」ものによっては「なるべく字幕なし英語」(笑)でモヤモヤを少しでも減らそうと絶賛努力中なんですが、(詳しくは前回にも書きました)これとテストの相関関係が知りたいなとよく思います。私はテストでなかなか満点取れない女ですが(笑)ドラマとか、audibleの場合、満点取ってる人でそれらが難しい場合もあるみたいです。それで自分が英語力上ともおもってないし、思える質じゃないのもあるし、

というか、下で全然いいのですが、

これって英語力がどちらかが上とかの問題じゃないような気もします。

映画やドラマやyoutubeを字幕なしで見ることをやってて思うのは、そこで問われるのはリーディングの速読力とかではなくて、話している背景知識とかボキャブラリーになってきます。

どうも脳みその違う部分をつかっているような気分でもう何年もたつんですが、やっぱりそうなんじゃないかとも思うこの頃です。

今年度は授業でリスニングもやっていて、生徒と一緒に解いています。ほんとはやりたくないんですが、また転職とかで資格が必要になることがあるかもしれないから、試験も受けないとなあという思いもないわけじゃないので、リハビリも兼ねてます。が、満点とれないんですよねえ(汗)いままで満点取ったことないかも(大汗)英検1級でもできたときでも1問落としてました。わはは。

教えているクラスには余裕で満点を取るような子たちが結構いるんですが、このところここにもよく書くように、そのきびきびした脳みそは自分は持ち合わせていないわけです。その中には帰国子女とか国内バイリンガルの子たちがいるのもあるとは思いますが、自分がそこのplatformに乗ってる意味あんまりないなと思うに至っています。

その年齢、自分の脳みそに合わせて英語してもいいんじゃないかと。どんな人でも、どんなレベルでも英語楽しんでいい。

もちろんテストを受けることは、日本のような英語を「使う」ことを必要とされない特殊な環境では強力なツールです。私の生徒たちのように受験生たちはリスニングテストがあるから満点めざしてやっている。合格するために、そこを通過するためにやっている。通過してしまえばそれで終わり。関所を越えたわけです。それ自体は悪ではなくて、

何度も書くようにそれで序列があるのが問題。学歴と同じですよね。英語教育の文献を読でいて書いてあったりするんですが、点数をとるというのは明示的な事柄で、実はそれだけでは不足している。そこによりどころを求めやすいので、安易に飛びつく。

ジャッジする機能はどの国でもあるわけですから、仕方のないことで、英語の世界でもそれが浸透しています。評価は必要なわけだし。

学校で生徒の心の成長も考えてあげるべき教師という立場の自分。成績のいい子が人間力があるとは限らない。いつも成績に関係なく一生懸命取り組んでいる子に心を砕くことが仕事だと思ってやっています。

 

本当の成功者はそこによりどころを求めていないんじゃないでしょうか。

それを越えたときに見える世界はもっと広くてもっと深いんじゃないでしょうか。

 

あ、自分が成功者なんて思ってないですよ。どちらかというと落ちこぼれ代表。いや代表なんてもんでもないですね。それでもあがきつづける者のひとり。

自分は能力が高くないという気持ちは多くの人が抱える気持ち。私も常にその気持ちを持ちながら過ごしています。

でも、それはそれでいいし、その気持ちがあるからこそ続けることもできています。

きっと60歳になっても、70歳になってもできない自分を抱えながら英語を続けているのだと思います。

英語を通して物語を堪能したり、いろいろなことを学ぶことはやめないだろうと思います。

そんな気持ちになった今年の誕生日でした。

おまけ、今年のケーキ。

私には甘すぎてたくさんは食べれなかったけど、気持ちだけたくさんいただきました。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

また一緒にがんばりましょうね!

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