トンネル

今日もお越しいただきありがとうございます。お元気ですか?

世の中は「コロナの影響で休んだ分は保障」みたいなこと言ってますが、職場は今まで教えた中でもかなりいい環境の学校だったにもかかわらず、今年度に限っては時給で働く身なので、出勤した分だけ翌月払い。お給料がまったくもらえないということになっちゃいます。まあ、世の中のパート主婦や非正規雇用の人たちはどちらにしろ弱者ってことです。日本では面倒を見ないといけない家族のいる既婚女性が自立できるなんてほんとに限られてると思っています。

この一年はほんとに頑張った一年となりました。耐えた一年とでもいいましょうか。

実はこの数週間、暗い暗いトンネルを当てもなくさまよい続けるような気分で過ごしていました。

自分にとっては減らしたといえども、仕事をつづけながら大学院に通うのはやっぱり生半可ではありませんでした。母が弱って歩けない状態になることもあるし、子供の大学受験が徐々に本格的になってくるし、夫はどんどこ激務になっていくし。自分の体調もお年頃で無理がきかない。

仕事を受けた以上はちゃんとやるのが信条なので手を抜かない。そうするとそのしわ寄せがどこかにきていました。仕事が終わって急いで帰ってそのまま運転すると必ず居眠り運転しそうになるので、10分でも20分でも仮眠をとってから学校にいったりもしました。

週末に課題をなんとかこなそうと休み返上でがんばりました。課題が重なるともう修羅場。

「がんばる」「耐える」にも限界があって、耐えられないことを耐え続けるとどこかにガタが来る。それは体であったり、心であったり。

いろいろ悩んで泣いて、話し合って、相談に乗ってもらって、

一番大事なことを優先することにしました。私には全部は無理。

大学院を休学することになりました。

卒業を伸ばすのは勇気がいりました。悩みに悩んで出した結果ですが、「それでいいんですよ」とたくさんの人が背中を押してくれました。感謝の気持ちでいっぱいです。期限を延ばすことで、そのぶん数年先になる。そうしたら、仕事には直結しないかもしれない。復学したら、またいばらの道かもしれない。一から仕切り直し。

 「それでもいいじゃん」と、家族が言ってくれます。「いそがなくても、いいよ」と言ってくれます。

穏やかな家族、母との日々を優先することにしました。最近は耳が遠くなって会話が全然成り立ってないけど(笑)あ、勉強は続けています。復学するまでにやろうと思うことがたくさん。

この結論に行きつくまでつらかったです。乗り越えるべき壁がどんどん襲ってきて、もうだめだと思いながらでした。

それと重複するように、秋に決まっていたと思っていた仕事が急にもらえないことになりました。ダブルパンチ。前の職場はもう断った後だったので、いきなり無職状態(大汗)もともと大学院に行きながらを想定していたので、慣れたところでと思っていました。非正規だとほんとに振り回されるのです。そこからまた自分の思うようなコマ数の仕事を探すのは大変でした。学校側ももちろん自分たちの思うように動いてくれる先生が欲しいのもわかりますしね。そこを超えて私を欲しいと思ってもらわないといけない。

そこにたまたま以前から行きたいと思っていた学校の募集がでました。さっそく応募したら、すぐに電話がかかってきて、経験や英語力をすごく買ってくださいました。でも、私よりもフレキシブルに動ける先生がいたので、もちろんその先生を優先。一人のみの募集だったので断られました。次回空きが出たら是非声をかけてくださると言ってくださいました。行ってみたいなあとおもっていただけに、ほんとに残念。対応もすごく丁寧でした。

そのあとも、何時間もかけて履歴書を書き続けました。いい言い方で書くと、経験が豊富、まあ非常勤で次の契約がなかったり(人事で非常勤のコマが出ない場合も多いです)契約年数の制限があったり、条件のいいところから声がかかって移ったりを繰り返した結果。職歴がかなり長い(汗)ほんとに時間とられます。学校によって形式も違うし、志望理由や、動機をそれぞれに考えてアピールしないといけない。年号だったり西暦だったりの指示で何回も書きなおしました。わはは。次に出した学校もまた出遅れ。なんでこんな目に遭うんだ?と思いながら、これで最後だと思った学校から、すぐに電話がありました。

面接に来てくれと連絡を受けて書類をそろえて(これまたいろいろ大変です。免許や資格のコピーを用紙したり、成績や卒業やらの証明書。大学まで取りに行かないといけない)急いで用意してました。

そしたら、一旦断られた学校からまた電話があって、空きが出たから是非来てほしいと電話でお仕事を確約してもらえました。もともとそこが一番行きたかった学校だったので、願ったりかなったりです。しかも自分が思う理想的なコマ数でした。

にわか就職活動なんとか終わった。もうこんな思いしたくないなあ。

あ、学校関係者の方が読んでるかもしれないので、つけ足しておくと、学校によって本当に対応が違うのですが、一流の学校はやっぱり対応も一流です。いったん断られて電話がかかってきた学校は対応してくださった先生が本当に丁寧にお話してくださって、履歴書を返送してくださったときに、私個人に対する内容の手紙までつけてくれてうれしかったです。履歴書を返さないところも多いし、非常勤講師にはけっこう冷たい学校もあります。メール一本で、しかもコピペして間違いのある内容だったりするところもありました。

ほんとうに紆余曲折で、なんかいつもどんくさく動き続けてるよなあと思いながらです。それを少しでもカバーしようと勉強をし続ける自分。なんか苦しい時間も多い。

結果的には、新しくいく予定の学校は、もともと行くつもりだった学校より上のレベルの学校。英語力は断然上です。やってる内容も全然違う。私に仕事をくれなかった先生たちが教えることのできないレベルの生徒に出会えます。私を買ってくださった新しい学校に感謝の気持ちでいっぱいです。生徒のレベルが高いのでそれが不安なぐらい(汗)勉強しないとと、気が引き締まっています。

いい結果に終わったわけですが、その過程は苦しみそのものでした。

途中では、なんでこんな目に遭うのかなあ、私ってどんくさいなあと、落ち込みながら進み続ける。でも、仕事がもらえなかったのは、そこが私の場所ではなくて、もっといいところに導かれていたからかな、サインだったのかな、なんていいように思うことにします。最後に面接を断った学校も最新鋭のことをやっている学校だったので、どちらにしろ行く予定だった慣れた学校よりはよかったはず。まあ、どこもいろいろ大変なのは同じなので、大きな期待はしちゃだめですが。

ほんとに仕事もらえたのかなあ。まだ半信半疑です。なかったらどうしようー。

勉強し続けてきてよかったと思えてよかったです。なんかまどろっこしくてすみません。相変わらずな私です。

そして、「お休みしたって勉強はできますよ。大丈夫、続けていけばいいんです」と私の背中を押してくれたある先生の言葉を胸に、

またてくてく歩いていきます。

苦しくて泣きながら進んでいたら、必ず現れる救いの手の数々。いつも書くようにほんとうに差し伸べられる手があるのです。

その救いの手に応えて、今度は自分が誰かを救うことができたらといつも思います。いつも書くように、それが間接的であっても、直接であっても。純粋さを持ちながら、

これから出会う生徒にとって、あなたにとって差し伸べられる手になれますように。

どこを歩いているかわからないトンネルにさしかかっても、小さな小さな光に向かって歩き続ける。そしてまた違うトンネルに入ったとしても、またはるかかなたの小さな光を求めて。

苦しいことはもちろんこれからもありますが、一緒に歩いていきましょう。

読んでいただきありがとうございました。

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