今日もお越しいただきありがとうございます。お元気ですか?
何から書いたらいいのかと書き始めた今回です。書いては何度も消して書くということをしながら書いています。
ずっとずっと苦しいトンネルの中を通っているというようなことを何度も書いてきました。
ずっと苦しみ続けて英検1級に合格した8年前は、受け始めてから10年以上たった時でした。結婚してから子供を授かるまでと、子供が1歳の時から7歳か8歳ぐらいまで休みながらも挑戦し続けました。ずっと先生をしながらでしたしね。それに子供が英検を受けていたときとかはやっぱり子供優先。それまでに英検1級は何回受けたかもう覚えていません。時間を捻出するために皆が寝静まっている早朝に勉強して布団に戻ると、1歳になってなかった子供が私を探してハイハイして布団の端までいってあきらめて再び寝ているという姿を思い出すといまだに涙が出そうになります。
高校で英語を教えながら少しずつコツコツ勉強してやっと1級を手に入れたときには45歳になっていました。
そこから翌々年に必要を感じて今度はさらに上のことに挑戦しようとある学校を受験したのですが、
落ちました。
そこからまた長い旅が始まりました。
なんとかしようと、突破口を探しながら、IELTSを受けてまた違う道を探し始めました。目標の点数がとれたので、また違う学校にアプライしたんですが、
また落ちました。
門前払いの連続。失敗ばかりなのはこの時に始まったことでもないので、できない自分には慣れっこですが、自信がどうしてもわいてこないのはそんな時間のほうが長い人生だからだと思います。いくら人に英語を褒めてもらったりしても、どうもすわりが悪い自分がいます。
そこからはIELTSを毎年受験しながらIELTSの点数を少しでも底上げする目的で英検1級をしばらく連続で受験するということを続けました。
でも試験に気を取られていて、今度は学校に入るチャンスを逃しました。ついでに久しぶりに英検1級の1次試験におちました。テスト中に気がそがれることがあったのですが、それでも受からないといけないのになあと悲しかったです。
ちょうど前の職場で5年がたっていたので、違う学校を探さなければいけなかったので、(今は法制度が変わっていますが、雇用を守るための法律が非常勤講師の雇止めとして悪用されていたのが去年までの現状です)コマ数を減らして去年一年は学校に入るための準備としようと決めていました。IELTSの点数ですでに入れそうな学校もあったので、いろんなことを視野に入れながらの再出発でした。
しかし、春に新しく教え始めた学校はものすごく進学に熱を入れている学校で、自分の想定以上の日数とコマ数を言い渡されて、受験生を任されて番狂わせな始まりでした。専任と同等の仕事をしてくれとさえ言われました。
机に向かって自分の英語なんてもともとできてないうえに、ますますできなくなってしまいました。
それが2学期までだと思ったら、いまだに授業に駆り出されている状況です。ある意味非常勤で国公立2次を指導するのは評価もされているという意味なのでうれしいのですが、今回は堪忍してほしかったのが正直な気持ちです。
悩みながらも、必死で頑張る私を見て、夏前に私の英語の力をすごく買ってくれているお友達の先生がある提案をしてくださいました。
一度落ちた学校にもう一度チャレンジしてみてはどうか。
そこからもう一つの選択肢に向かって勉強する日々が始まりました。
その先生が行っている勉強会に紹介してもらって、参加させてもらい、そこを皮切りに、大学を出てから長いブランクがあるのもあったので専門書まではいかなくても、概論を読む日々も始まりました。イギリスに行っていた間も持って行って読んだり聴いたりしてました。なので大好きな小説を我慢しました。代わりに違うものを読まないといけなかったから。短い論文でも眠くなる自分がいました(汗)
それ以前にも春からまた違う知り合いの方に教えてもらって英語の教授法をかじりはじめました。学会に入って学会に参加したり、英語の先生のセミナーに参加するためにイギリスにもわたりました。ついでに家族旅行もしたというのがいきさつです。イギリス人の友人たちにも再会できて思い切って行ってよかったと思います。体調をかなり崩していた母と愛犬を姉に託しての滞在でした。
いろんな選択肢を模索しながら、空中勉強(ながらや耳だけ英語ですね)をしながら、授業の準備に追われながら、今までは1年に1,2回しか作ることのなかった定期テストを毎回数種類作りながら、
気持ちはあせるばかりでした。
冬までは英語のテストを受けるどころじゃなかったのが実情です。
冬過ぎからは集中していままでの遅れを取り戻そうと9か月ずっと心に決めていましたが、仕事がいつまでも切れない状態。でも目の前に生徒がまっているのでどちらも全力で頑張ることにしました。
今年に入って数週間ごとにいろんなテストを受けていました。なので、目的ごとにやることをすこしずつスライドさせてやっていたわけです。
でも本命は先週のテストでした。そのために並行して英語の試験を受けました。英語力をもう一度底上げする目的で。
数種類のテストの中身は4技能、日本語も必要という範囲にわたっていたので、どれもカバーしないといけない。
この一年間、何もかも想定外で、体力も気力ももう限界でした。
それでも這うようにして頑張り続けたつもりです。
お気づきの方もいらっしゃるかもしれませんが、前回のブログはテストのあとにぼろぼろの気持ちで書いた記事です。
集中するためにたった一人で勉強記録をつけて、少しでも苦手なことをするように仕向けるために(どうしても苦手なものを置いといて、好きな方向に走ってしまいますしねえ。)ブログで勉強時間をUPするという方法をとらせてもらいました。
眠気を振り切って机にむかえたのもその効果があったと思います。
それとやり続けることができたのは、今までの数々の失敗、いちばん大きなショックだった6年前の失敗です。
その時の恐怖感を思い出しながら這い続けました。恐怖感との戦いでした。
勉強している間、すぐに泣きそうになる自分がいました。試験の表紙をめくる直前まで涙が目にあふれてました。質疑応答でも。試験も時間がぎりぎりで、よい出来だと思えなかったので、授業のために学校に行く間に泣きながら運転している自分がいました。
でも、授業が入っていたりとかで、だれかの英語を手助けすることで自分を支えることができました。自分の勉強をおいといて、年末に近所の子の大学受験のために時間を何時間も費やしました。今年に入っても同じで、私を必要としてくれている人に時間をとることが、
自分の英語に集中できないことがかえって自分を助けてくれている。
そして試験が近づいてくると、よけいに家族のお弁当とかがさぼれない。直前は子供が「ママ、今週はもうお弁当つくらなくていいよ」なんて言われても、やっぱり必死で夜に台所に立っていました。朝と夜の車の送迎の時も英語を聞きながら運転してました。激務になってしまった疲れた夫が少しでも楽になるようにと、子供の送迎がないときは車で学校まで送ったりしてました。学校を変わって管理職になって、少しでも私に楽させたいと思って選んでくれた道。夢を追い続ける私をずっと応援し続けてくれる。
試験の前日には子供が神社で学業成就のお守りを買って帰ってくれました。試験当日はそれを握りしめて挑みました。
やっぱり家族が一番大事。家族がいるから英語ができる。頼ってくれる生徒がいるから周囲の人がいるからできる。
それが私の道だと思いました。
自分のためだけに英語をやっていたら、もっと失敗していたかもしれない。それは自分の目指す道じゃない。
そんな風に英語が得意になっても私には何の意味もない。
学校を受験する前に、勝手に師匠とよばせてもらっている人に、今まで英検1級に9回合格した話をすると、
笑って一蹴されました。
何回受かろうが、高得点とろうが、あまり意味がない。
私はいくら英語のテストを受けても、思ったように点数もとれないし、受けるたびにいろんな分野で乱高下します。自分が思うより高い点数をとれることもあれば、奈落の底に落とされることもしょっちゅう。
C1レベルが必要でも、それは入るときだけの話で、それ以降は「この人はC1レベルの人」扱いは終わりなのだというのが自分が感じていることです。
イギリスで友人たちと英語で過ごしているときもテストでいくら頑張ってもそれ以外のものがあると思いながら過ごしていました。
テスト自体を否定するつもりはまったくありませんが、目的があって初めて試験を受ける気持ちになれる。それが正直な気持ちです。
そしてやっぱり思うのは、自分一人ではなかったということです。
泥臭くても、一生懸命にやり続けると、やりぬくと、何かがあると信じてやってきました。その気持ちを救ってくれるかのような出会いや差し伸べられる手。
自分一人ではここまでこれなかった。いろんな人が手を差し伸べてくれたから今の私がいると思います。
差し伸べられた手があるのは、自分が差し伸べる手があるからもらえるものだと思います。
孤独にやり続ける私を支えてくれた手に感謝の気持ちでいっぱいです。
家族や直接知っている周りの人たち以外にも、
ブログを読んで、コメントやメッセージをくださり、拍手を残してくださる何人かの方々がいたからブログを細々とつなげていくことができました。
また、コメントだけでなく、数々の拍手。来るたびにおひとりで11拍手残してくださる方。
それらの思いやりが私を突き動かしてくれています。
長い長いトンネルを今やっと抜けて、
春から学生になります。
合格者の中に自分の受験番号があるのですが、実際に手続き書類が来るまでまだ怖いです。
6年越しの恋がやっと実った一瞬なんですが、まだちょっと実感がないです。
この夢をかなえようと、何年も努力をし続けました。40歳のうちにかなえたかった夢が50歳を過ぎてやっとかないました。
やめない自分がいて、勉強はいつになっても始めることができると思う気持ちは変わりません。
この数年間、気持ちを揺さぶられることもたくさんありました。ブログを変わったりもしました。
失敗してきたことが今の私の人生を豊かにしてくれていると思っています。ほかの人がいとも簡単に超えられることをじっとこらえてやり続ける自分でもです。
これからもたくさん失敗するだろうけど、不器用だけど、こんな変わり者の私でも寄り添ってくれる人たちに囲まれて穏やかな気持ちで過ごせることがどれだけ大事かと感じています。
それが私の道だと思っています。
また一緒によければ歩き続けましょう。
このブログが誰かの心にほんの少しでも触れる手となることを祈って今日のブログを終わりたいと思います。
読んでいただきありがとうございました。
久々の登場です。つらい時に抱きしめて癒されました。小さな小さな私の笑顔の元。いつもありがとう。
個別にはお返事できない非公開としてコメント欄をつけさせていただいています。カウントは常に(0)ですが、ちゃんと届いています。いただいたコメントはいつも感謝と共に大事に読ませていただいています。ご了承ください。