中毒

今日もお越しいただきありがとうございます。お元気ですか?ちょっと寒くなってきましたね。我が家はまだ半袖シャツにネクタイ、家ではランニング一枚の夫と、夏からずうっとスキー用の靴下を履く私との温度差が激しくなってきました。昨日は朝犬のために始めて電気じゅうたんをつけて家をでました。カーペットにへばりついてました(笑)今見たら、またへばりついてた。猫のような犬という人がおおいうちのワンコです。人の膝の上が自分の居場所だと思ってるし。

仕事は締め切りとの闘い中です。仕事と同時並行で研修会に出かけたり、勉強会に出るという生活が始まるので、なんとか冬までの授業の準備も前倒しでしないといけないなと自分のお尻を叩きながら頑張っています。なんとか少しでも自分の勉強ができる時間を確保したいと切に願いながら過ごす日々です。

最近では作業をするときには必ず英語を聴くのが当たり前になってきました。朝決めたPodcastを90分から120分というのはここ数年のルーティーンになってるんですが、15分以下のニュースは2回聴くというのも定番になってきました。昔は30分ものも2回聞いていた時期もあったんですが、違うニュースを4本ぐらいが定番になってからは時間が確保できないので、今のパターンになっています。聴く順番も聴く時間帯も同じなことが多いです。アクションが同じだと取り掛かりやすいと思います。子供の送り迎えの時はSky newsとか、洗濯の時はNHKとか(笑)

それとやっぱり回数を聴くと違うと感じ始めています。

このごろはニュースを聞かないとなんだか気持ち悪くなってきました。これはいい傾向だと思っています。職場に英語母語の先生が来るときはけっこう「今日のニュース」の話をすることが増えてきました。向こうから「今日のニュース聞いた?」と話題を振ってくれたりもしてくれるようになってきました。これもいいなと思っています。

夜台所に立っているときはaudiobookが中心です。スーパーをうろうろしている時も(笑)おもしろいのは、時々ある売り場に行くと、印象的だったシーンをそこで聴いていたことを思い出して物語がざっと頭に現れる現象です。あるスーパーのハムとか置いてあるコーナーではある物語の出産シーンを思い出すとか。変な私(汗)シーンを聴いていた場所とリンクしている。車の交差点とかでも起きます。「ここであの大笑いしたシーンを聴いた」とか思い出す。

あと、これも数年やり続けていることですが、

ドラマを耳だけで聴くということもやっています。このブログを愛読してくださっている方はすでにご存じなGame of ThronesやDownton Abbeyとか、一度見たものを2回目以降は耳だけで聴くという作業です。今はGame of Thronesを9月後半からシーズン1から聞き始めて今はすでにシーズン4の終わりかけです。

これ、よく考えると1シーズン10時間ほどだと思うので、すごい量を聴いていることになります。ながらでも塵積ですね。Game of Thronesはおそらく6,7巡目ぐらいだと思うので、かなりセリフが入ってきます。一部は字幕のない状態でみたものがあって、さっぱりわからなかったシーンが、今ではくっきり聴こえるのが嬉しい副産物。

ここでも回数がモノを言っています。

自分のリスニングの能力が上がっているのかどうかよくわかりませんが、

「わかる」と思うことを重ねることが悪いことではないなと思っています。なにより楽しくできるのがいいです。仕事してるときに、オープニングテーマ曲を聴くとやる気がわいてくる今日この頃です(笑)今年度はいままでで一番苦しいし。

時間に換算すると、日本語より英語を聴いている時間の方が断然多いことになります。Podcastとドラマとaudibleを合わせると今は聴くだけでも7時間ぐらいになってます。もっと聴いてることもあります。わはは。それ以外にもシャドウイングや音読を合わせるとけっこうな時間となります。同じものをするのは飽きるという声を聴きますが、そこをなんとか耐えると見える境地もあると思います。わたしは凝り性で好きなものは徹底してやってしまう癖があるので、そこは簡単にクリアできるんですが、他の部分ではダメダメ子な部分も多いと思っています(笑)あ、ちなみにブログをダダッと書いている今はGame of Thronesのテーマ曲を集めたYoutube聞いています。前はバッハとか聞いてたけど、ジブリピアノ曲とかその時の気分で曲は変えてます。職場では少しでも自分を癒そうとヨガミュージックかけて仕事してることも(笑)

これを書き始めたきっかけは、podcastのニュースで「Netflix中毒」と題したトピックで、ずっと家にこもって一日7時間以上ドラマを観ているのは完全に中毒症状だなんて話だったと思います。

私はじっと見るなんてことはもちろんできてませんが、耳だけは完全に中毒状態なわけだなと思いながらニュースを聞いてました。

私がいわゆるこの聴き方、世間では多聴と呼んでいるのかな?と始めたのは英検1級をとってからです。

自分の感覚では、テストのリスニングと聴き方がまるで違います。

受験英語を教えるのと違って、ある程度まではルールとテクニックを使ってできるものではないからだと思います。

日本語でルールを覚えていないと、日本語説明ができないと英語ができないという趣旨のものとは別物じゃないかなと思います。量もいるし、スピードもいる。

受験英語にしろ、試験英語にしろ、それ以外の私みたいな変人の英語にしろ(笑)

どれも幹は同じだけど、違いもある。

どちらにしても、ある一定の「壁」を超えないといけない。

その壁は高くてとうてい到達できないものに見えても、、夢中になっていつのまにか結構高い位置にいるとに気づかないほどの集中と、地道な作業の積み重ねなのではないかと思っています。

私は自分が受験英語を教えながら、その受験英語も4技能と叫ばれる頻度が強くなってきて、でもまだヘビーな英文和訳、和文英訳も教えないといけない状態もあって、自分にはヘビーに英語を英語で理解することを課し、多読(このところは趣味の小説以外でちとつらい)と多聴もやりながら思うのは、

どれも英語を理解するのに助けてくれるツールではあるけれど、どれも一長一短ある。

 文法も理由を知る必要はあると言えばありますが、自分がそれを説明できなくても、使えることが大事。

文法を知らないから英語が使えないじゃなくて、使ってないから矯正がきかないという見方が日本の英語の先生にはたりないような気がします。文法は大事なのは重々承知ですが、それをやりつつ、練習をしないと結局は書けないし、話せない。

両方必要なのになあ。知っていることに拠り所を求めるよりも、使えることに重点を置く時代にさしかかっているのではないかと思うようになってきました。使おうと思ったらルールに対しても違う視点で意識が働くとも思います。簡単な例を挙げればHe がきたら動詞にsを付けるということが自動化されなければ生きてこない。

と今は生徒の大量の和文英訳を眺めながら感じています。

最短で英語をマスターしようなんて言葉が頭に微塵も浮かばなくなって久しいですが、

その方法は要領が悪いとか、間違った方法とかと左右される余裕もない状態は

かえって心地がいいです。

しばらくはこの状態しか続けられないし。それで英語を楽しんでいる自分がいる。

そんなのもありです。

皆さんはどうですか?

読んでいただきありがとうございました。

あっという間に週末ですね。よい週末をお過ごしください。

また一緒に頑張りましょう!仕事に戻ります(涙)

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