今日もお越しいただきありがとうございます。
お友達がライティングの結果が振るわなかったとメッセージをいただいたのもあるので、ふと思いついて書いています。
私もライティングの点数はすごくよかったり、ぎりぎりセーフだったりというていたらくなので、偉そうに書くつもりは全然ないですが、ご参考になれば幸いです。
お友達のためだけでなく、もう一つ頭をよぎったことがありました。
学校でもライティングをさせます。意見を書かせて、英語母語者の先生がチェックするということをやっています。最近はそうことをやっている学校も少しは増えてきています。上位校で意識の高い学校はやっていますが、今だ上位校ですら、英語母語者(ちまたではネイティブスピーカーというのが普通ですね)を雇ってそういうことをしている学校もあれば、週に一度のレッスンで投げ込み程度のところもあれば、それすらないところもあると前回も書きました。
受験には今は必要ないからと思われてるからですかね。リスニングは問題配ってCD流すだけとか?
いや毒づくのはやめときます。
学校によっては外国人が入って英語でやるレッスンは「遊び」みたいな感覚を持っている先生や生徒もいまだ多いと思います。
私自身も生徒の日→英を指導しないといけないので、その延長上にたまに生徒の自由英作文、いわゆる英検のエッセイに近いものも見ることがあります。
同僚の英語母語者の先生が嘆いていることをこの間、目の当たりにして、自分も嘆いてしまいました。
生徒が書いてくる解答、日→英は答えがあるので、ほぼ暗記なのでそれは置いといて、自由に書いてくるエッセイに問題がありました。あ、日英は答を覚えるにとどまらず、パラフレーズできることも大事だと強く生徒に言っています。もし違う答えがきたら、採点は大変ですが(笑)
話を戻して、エッセイを読んでいると、(エッセイといえるかは不明(笑))
テストでカンニングしているわけでもないのに、
答がまるで同じ。金太郎あめのように出てくる絵が同じ感じです。
これに近いことが英検を受ける私たちの間でももちろん起こっているんだろうなと思いました。
例えば、英検2次の会場に行くと、かなりな割合で同じテキストを手にしていることが多いです。それを覚えて使おうというのも一つのとっかかりなので、否定もしません。最初はそうするしかないですからね。
思うにつかっていいのは、いわゆるディスコースマーカーだとか、型の最初の部分はとってもいいと思います。それはルールに近いものですものね。
でも、たとえば、モデルアンサーのボディの部分を暗記に近い状態で、それを面接会場で言った場合、やっぱり「またこの答か」という試験官の感想が待っているということです。
それでも受かればいいというのも一つの答えです。1回受かった人の意見はここで止まるのも仕方のないことです。
私もいろんな本や英検2次のサンプルの商材にも手を出して暗記に近いことをしようとした時期がありました。でも、覚えきれないし、自分のアイディアでないので、じぶんのエッセイを読み込むという方法を2回めの合格時(2014年ぐらいだったと思います。初めての2010年時はほぼ即興)に確立してやってきました。そのブログを読んでくださった方も多いと思います。それまでは、サンプルアンサーを暗記するというやり方をやっていた方々ももいまそうでないようですよね。自分のエッセイが2次に強く影響するという言い方に変わってきてます。よかったよかった。
サンプルアンサーを参考にするのは誰もがまずは走る手です。アイディアが浮かばないから、お知恵を拝借する。合格するにはそれも必要でもあります。でも本当に必要なのはその合格の先にある、コピーでない自分の意見を英語で語れることです。そのためのテストでもある。
ふと立ち止まって考えてみました。
自分のアイディアが思い浮かばないのは、普段そんなこと考えていないから。そこに根の深さがあるのではないか。
日本では、議論をするという土壌がありません。できれば避けたい。私もその一人です(笑)
でも、英語母語者と英語でやりとりしていると、そうはいかない場面に直面します。自分の意見をはっきり言わないと話が進まない。
英語で話しててよくその話になるのですが、自分も含めて、生徒や日本語で生活している私達には英語を使う際に欠けているものがあるのではないかということです。
自分の考えを確立する作業です。自分はこう思う、相手の意見に反対だ、賛成だと話し合いながら、着地点を決める。日本語でもやっているとは思うのですが、もっとあいまいさが伴うと思います。
さらに言うと、意見を持たさないようにしていることもあるかもなんて思うこともあります。それと最近のテレビの日本の文化や日本人は世界で活躍しているかというような類の日本の持ち上げ方もなんだかコワいと感じているのはわたしだけですかね。あれに洗脳されている子供も多い。いや自信ももっていいんですが、「日本はクール」と思わせたい意図的な匂いがするような。それと、アイドルを何十人も束ねてくるのも私には耐えられません(笑)まあ、もともとあんまりテレビ見てないですが。
とにかく受け身にせざる得ない状況か学生時代も延々と続いている状態。社会もその延長な場合も多い。だからなのか、裏表がきつくて陰湿さも出てくる場合も。ネットはさらにコワかったりしたりして。
なので、英語母語者と話していて、彼らが消化不良に思うのは、この着地点のない会話運びだと以前に言われたことがあります。「だから何がいいたいのだ?」とよくなると。例えば、英語母語者同士でない間だと英語でも話が弾む。フィリピンの人とかと英語母語者の人だと違うというのも同じ根があるのではないかと思う私です。
たとえば、生徒が”I like baseball because it is fun."と書いたとします。ここには決定的な欠落があります。
「面白いから好き」と日本語で言ってもべつに不思議に思う人は少ない。
でも英語では、「なんでおもしろいのか」を書かないと意味がない。
普段から考えてないからできないのです。
だから、サンプルアンサーに理由を求めてみんな走るのではないかと思っています。サンプルアンサーには試験官が合格をくれる理由が満載です。
それをダメと言っているのでなくて、それを自分で出せるようになってはじめて、英語で意見が言える自分がいるのではないかと考えました。
2010年に初めて英検1級に合格した時に自分が書いたブログで、「英語でネイティブスピーカーとハイチの地震のことについてネイティブスピーカーと話したりした」とか「夫と日本語でニュースを見ながら意見を交わす」と書いていました。無意識に意見を言うことが大事だと気が付いていたのだと思います。
そのあと、2回目の2014年にはサンプルアンサーをしばらくあさることをして、また気が付いて自分で書いたエッセイを流用して面接に挑むということをしていました。
英検1級は、エッセイも、面接も、普段私たちが日本語ですら意見を言わないことが満載です。
意見をもとう。が鍵ですね。
じぶんのひな型を持つのは大事なことですが、そのひな形が借り物から、本当の自分の意見であることが大事なのではないかと思います。試験攻略という意味でここを強化するというのは王道だとも思いますが、
実際に英語で商談や、会議、話し合いで、使える自分がいることが大事なのでは?それができている人材が必要だから試験で問われるのでは?
いやただの一学習者のつぶやきなので、すみません。
日本語でもいいからやってみて、そこから訳すのではなくて、こんどは英語でやってみる。
あの2次には、自分の意見を持つという隠れた意味もある。
英語力だけじゃないと思います。
エッセイに悩んだ方、これから2次に向かって頑張ろうとしている方にエールを込めて書いています。
私も前回得意なはずのトピックを選んだにもかかわらず理由が一つしか言えず(一応二つ並べたが、同じような理由を繰り返してしまった)、ぐちゃぐちゃになって不合格でした。スピーチができなければ、理由が一つだと、きかれる質問も限られて、質疑応答でも挽回は難しいです。スピーチの型の印象で、発音までいつもより悪かった。
なので、自分に対しても書いています。不合格になった人の意見だとスルーしてもらっても全然かまいません。(あ、一応それまでは8回受かってます。多分(汗)あんまり最近数えないのでわからなくなってきた。2次はこの間初めて落ちました)しかし失敗から学んだことが大事だと自分は思っています。
といいながら、週末は寝てばかりの自分です。前回のリベンジしたい自分が全然湧いてきません(涙)練習相手も減ってしまったので、またお尻を叩いてやらねば。
なんとかガンバリたいです。
ブログ書いてないでやらないと、ほんとにまた落ちるぞ(汗)その前に洗濯物干しまーす。
一緒にがんばりましょうね。
読んでいただきありがとうございました。
個別にはお返事できない非公開としてコメント欄をつけさせていただいています。カウントは常に(0)ですが、ちゃんと届いています。いただいたコメントはいつも感謝と共に大事に読ませていただいています。ご了承ください。