ネイティブ信仰 その後

夏休みでもあるので、

自分の勉強をいろいろ考えなおしている時期なのですが、いろいろ思いが浮かんできます。

受けているオンラインでは、「何でレッスン受けてるの?」とよく聞かれます。いや、まだ話したいことが全部スラスラ出てこない自分がいるからなんですが(汗)すんごい間違えるし(激汗)

それは、先生からしたら、「なかなか発音もできてるのに」と表面的に判断されてしまうのかもしれないと思いました。記事を音読すると、できる人だとかなりの確率で思われます。「日本人なのに、どうやってそこまで頑張れたの?」「どうやってそのブリティッシュアクセントを習得したの?」とよく聞かれます。そこには、

日本人の英語の発音はネイティブスピーカーのものとはかなり違うからという印象が先生たちにあるからです。そこで、私の英語力は実際はたいしたことなくても、ごまかされているということです。私の英語が「たま」に褒められるのは、他の日本人の英語を聞いたことがある英語母語者や、英語母語者でない外国人からです。一番褒められるのは日本語母語者の方々からです。教えている生徒も褒めてくれます。その次にフィリピンの人。確かに褒められるのは嬉しいです。

一方で、日本人の英語を知らない英語母語者からは褒められるという感じじゃないです。例えばアメリカ人には「イギリスではそうかもしれないけどアメリカでは」とイギリス寄りだと思われて、発音で褒められるのではなくて、発音でその人の文化の中心がどこかを判断された経験を何度もしました。

「たま」と書いたのは、発音がどうこうなんて、話しててあんまり関係ないので、ほんとに最初だけとか、それすらないというとこです。

昔こんな記事を書いたことがあります。未だよく読まれるアーカイブの一つです。

ネイティブ信仰


実は今日、All Englishのセミナーを受けてきました。母国語でも第二言語でもいいのですが、英語だけで行われるものです。そこに日本人は私以外におひとりいらっしゃいました。その人は私とは違って英語を英語で教えることの方が主のようでした。あとはすべて英語が母国語か、英語の疎通に全く困らない外国人ばかりでした。英語で説明を受けて、英語でやり取りして、意見を述べて、アイディアをシェアする。曖昧なことを言うとすぐに突っ込まれます。途中何回か「うう、だからあ」と英語が出てこなくて詰まりました。それとか、自分が言っている意見がその場に即しているのかどうか不安に思いながら英語話してる自分もいました。ランチタイムも日本人の方と以外はもちろん英語です。

日本語が介在する暇はまったくありません。日本語に訳すことの弊害を教えられたほどです。それはある意味正しいことでもあります。日本はまだそこまで成熟できていないだけ。お隣韓国ではそこはあっという間に飛び越えてはるか先を走っているとも教えてもらいました。

終わった後は充実した時間を過ごせた満足感と同時に、同じ、いやもっと多くの焦りを感じました。

これだけやってもまだ足りないのだとう気持ち。もっとやらないといけないという気持ち。

そこで、英語で談笑したり、ディスカッションしたりしながら、私の英語が「発音いいですね」なんて言われることは一度もありませんでした。

英語が母国語でない日本人でない人もいたし、いろんな国籍の人がいたので、いろんなアクセントが飛び交う中です。日本人が日本語訛りで英語を話してもまったくみな意に介しません。

そして、一番大事なのことは、内容のある意見を言えてなんぼです。ちょっとぐらい発音ができても何の意味もないと今日も実感しました。

私が英語のネイティブスピーカーになれる日は絶対に来ないと思っています。随分前に気が付きました。できるに越したことはないですが、発音だけに気を付けて話していても、

話す内容がなければ意味がない。それと、省略をしたとしても、語順が狂うと通じなかったりします。文法力や語法の力も左右される。そしてそれを意識せずに使える力も。疑問文をつくるのは苦しいと思うことはありませんか?聞き返されたりしませんか?質問たくさんできますか?会話のやりとりできますか?それらをあまり軽視しちゃうと、

英検1級2次にも落ちまっせ(笑)➡毎回受けてるくせに実際に落ちたので説得力ある?わはは。

違う意見があって当たり前だし、ある程度は通じる発音、抑揚のある話し方ができればこしたことは思います。英語はそういう言語ですしね。私も発音によく効くと思う取り組みもやっています。でもそれもやっているうちに副産物として出てきた結果です。一応学校でも英会話っぽいのも教えているので、ある程度は必要。でもそれだけじゃない。

自分は今日みたいに身をもって実感するので、

やっぱり今までとずっと同じ意見です。

少し前ですが、いつも訪問させていただいているブロガーさんが、こんな記事を書かれていました。(リンクの許可もいただいています。ありがとうございます。)

ネイティブ発音主義を切る〜ELF学会の話〜

目にしない日はないんじゃないかというぐらい有名なモデル、女優さんですね。すごく上手な英語に聞こえます。見ると多くの日本人が憧れをもつかも。でも、それが問題だったりする。

パーティーに必要な英語力だけが欲しいとは思っていなくても、多くの人は実際にはそこを目指しているのが実態。

そして、そこに「ネイティブスピーカーのような話し方で」が加わっています。そしてその奥底に多元的なコンプレックスもあると思っています。ある意味帝国主義に屈している?しかもそれにゆがみがあったりもする。あ、ちょっと言い過ぎ?すみません。

見方を変えると、そこにこだわるから英語が伸びないのかもと思うこともあります。発音よくなくても、間違えても、英語を話す勇気のほうが必要なのになあ。そうじゃないとパーティーでも話が持たないはずだと思うのですが。

使わなければ上達はないし、暗記するだけで、自分のものになっていなければ、自分の言葉として話せなければ意味がない。

私は45歳で1級をとってから、自分ではかなり苦労したつもりでも、まだまだだと思います。もっと若い時から今のようにやっていればもう少し何とかなったのになあとも、もちろん思います。恵まれた環境でなかったことや年齢を嘆いてもしかたないので、嘆く分のエネルギーすべてを努力することに費やしています。人より時間がかかるなら、その分やるしかない。

なので、幻想を追い求めることもないです。実感を伴いながらつねに必死で勉強しているから。

英語を使う自分にうっとりするのではなくて、テストだけを追い求めるのではなく(これも多数の英語母語者の英語の先生は別物と考えています。同じ意見でうれしかった)、

英語で何かをする自分でありたいです。

なので、英語をどんどこ、

読むべし、聴くべし、書くべし、話すべし、

使うべーし!をやっぱりモットーにこれからも頑張っていきたいと思った今日でした。

久々にこの「べし」出ましたねえ。あ、ご存じない方の方が多いかも(汗)

英語を勉強しているうちについ陥ってしまう、表面的なものにはとらわれないようにこれからもありたいです。あるおばちゃん英語学習者の独り言でした。

読んでいただきありがとうございました。

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