贈り物

今日もお越しいただきありがとうございます。ペースダウンしてるのに、たくさん来ていただいてるのは常連のみなさんがのぞきに来てくださるのと同時に、英検のお客様がいらっしゃる時期なんですよね。

1年に3回にぎわいます。ありがとうございます。でも3年前のものにもかかわらず、来ていただいてるなんてびっくりです。それぐらい、特に2次試験の情報がありそうでないんだなと思います。あっても、受かった人の目線度が強すぎるとか、(受かればうれしいし、誰かに知ってほしいもんですからね。)肝心な知りたい部分とか、具体性がないとかでしょうか。

いろんなハウツー本、ブログを今まで読んで思うのは、「もっと具体的に知りたい」なような気がします。その部分をなんとか読んでくださる人に役に立つように「英検1級奮闘記」は書いたつもりなんですが(汗)

不完全な私の奮闘記にもかかわらず、今でもよく読まれている理由は、やっぱり「下からの這い上がり度」とか(笑)「その年齢でも、そんなんでも受かるんだ」という安心感かもしれません。

若い方々が軽々受かるのとは違いますからね~。若い子たちを見てると、「ズタズタのボロぞうきん」のようにがんばりを見せずに「軽々受かった」ポーズが垣間見えるのは私だけかなあ。挫折や間違いがおこらない人生なんてその幸せ度も低いんですがね。苦しいからこそ価値がある。それを見せることにもしかして若い人は罪悪感があるのかなあと思うことすらあります。そんなこと気にしなくっていいんですよ。がむしゃらに行きましょ。で疲れたら休めばいいんです。

この数日、私はとてもエモーショナルでした。旅行中に、父のように慕っていた恩師が亡くなられました。お通夜にもお葬式にも行くことができず悲しかったです。

父親の存在がほとんどない家庭に育った私は、その先生を父のように思っていました。生徒を自宅に招待してくれたり、旅行に行ったり。休日にテニスに誘ってくださったり。不安定な私の心をどれだけ救ってもらったか。

先生がサバティカル休暇で海外の大学に研究するためにご家族で行かれたときも、「是非遊びにおいで!」と言ってもらいました。行けばよかった。その年は一人でホームステイにアメリカに行く計画を立てていたあとでした。
そうしたら、「アメリカ?じゃあ、僕の教え子がいるから是非訪ねるといい」と紹介してくれたりもしました。

OLをやめて教師として働き始めたときに、先生を訪ねて相談に乗ってもらいました。

「いつでもおいで」という言葉に甘えて、ずっと訪ねなかったのを本当に後悔しています。まさかこんなに早く逝かれてしまわれるとは思いもしていませんでした。いつでも訪ねて行けば、そこに先生がいるような気がしてました。

先生にとっては私は、同じように慕うたくさんの生徒の一人にすぎないかもしれません。年賀状のやりとりだけで、音信が途絶えたにも等しくなっている一人。でも生徒の一人にとってはその出会いが人生を豊かにしてくれる。いつでも相談に乗ってくれて、見守ってくれた先生。

先生のような人と出会えたらいいな、とずっと思っていました。家族思いで、いつも笑顔で歓迎してくれる先生。私が海外の友人と心を通わせることができるようになったのは先生の影響も大きいかもしれません。先生の暖かい家庭のイメージが自分の中にずっと住みこんでいる。

今でも先生の「おお!〇〇元気か~!」と声が聞こえてきます。

先生、私は先生のように明るくて楽しくて、やさしい人と出会えました。写真の年賀状を送るだけでなく夫にも子供にも会ってもらえばよかった。

先生にもらったたくさんの目に見えない贈り物は私の中に息づいて、今度はそれが形をかえてまた目に見えないプレゼントになってくれたらいいなと思いながら、生徒に笑顔で答えたり、ブログを書いたりしています。それが、その時は大したことのない小さなことのように見えても、今、私が気が付いたように、実は大きな大きな力をもらっていたんだと、私のように誰かが気付くこともあるかもしれない。

それが人生の貯金じゃないかなと、この年になってやっとわかるようになりました。

私が先生から与えられたほど、できないかもしれないけど、今度は私の番ですね。

人の心は「やさしさ」でできてると思いたい。

その気持ちが天国の先生にも、これを読んでくださるあなたにも伝わりますように。

今日はだめですねえ。これで終わります。
相変わらず、内容を軽くできない私です。

読んでいただきありがとうございました。

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