日本人はなぜ英語ができないか?

今日もお越しいただきありがとうございます。春雷ですね。桜があっという間に散りそうです。

ちょっとね。いつもと違ってイレギュラーなことしてます。あ、昼寝はいつもと同じですがね(笑)今度から初めて教える学年や、科目のために準備しないといけないと思って、目読書や耳読書を後回しに「必死」でしています(笑)宿題をいやいややる生徒の気持ちがわかる私。

でも家にべったりはいられないので、教材作りなんかをできない時、例えば子供の病院通いの待ち時間ではこれ読みました。7割読めた。待ち時間も隙間時間。
日本人はなぜ英語ができないか (岩波新書)
日本人はなぜ英語ができないか (岩波新書) [新書]
ちょっと古いですが、納得の行くこともたくさん書いてあります。この本が書かれた時代と今でもさほど問題は解決していない、いやさらに悪化してるんじゃないの?という意味で読んでよかったです。日本人がいかに「英語」に幻想を抱き、「英語」にすべてのことを求めていることが具体的に書かれていて面白かったです。普段ここで書いてることも多数ありました。

面白かったものに付箋を付けたので、そのうちのいくつかに絞って引用してみます。

今の日本人は英語という「難しい」外国語ができなければ、教育がうけられず一人前の暮らしもできない、などどいう差し迫った必要が感じられないことが、じつは「日本人は英語ができない」と言われることの大きな原因の一つなのです。
本でももちろんフィリピンや、インドの例は挙げられています。全然使用頻度が違うから日本人が英語できなくて当たり前なんですがね。いつも「圧倒的な量不足」と私も訴えてます(笑)日本語と同じ語順の言語は世界にかなり少ないことをこの間民博で知りました。

もし多くの日本人が、広く世界の人々との交流を第一に考えて、英語ができるようになりたいと思っているのならば、その人たちは(略)国際補助語としての英語をはじめから目指すべきだと私は考えます。
欧米人に習うより、英語を母国語としない人と交流した方が英語が伸びるかもとふと思うこともあります。精神的なものも左右しますしね。

(日本人は)自然のままにしておけば、普通の日本人は英語を使って、自分の気持ちや日本人特有の感情を表現したり、日本固有の風俗習慣や、英語国には見られない身の回りの事物現象を、英語で何と言ったらよいかを、考えたり工夫したりする必要に迫られえることが、めったにないということです。だから、本格的な国際交流では不可欠となる、喧嘩や口論、相手に対する批判や不快感の表明といったことも、英語でうまくできないのです。
ほんまにそうですよね。これ、ぐうの音もでない。そのレベルにまったく達してないのに、なんで「ネイティブみたいな英語!」って一足飛びになるんでしょうかね。

(つまり)現在の「国際」英語教育は可能な限り、英米を含めた外国の文化や事情から、切り離すことを考えるべきなのです。
鈴木先生のこの意見は本の全編をささえているように思います。これも一理あるとは思います。

いわゆる発信型の英語がうまく使えるようになるためには、会話力をつけることが何よりも大切だ、と考えることはまったくの間違いなのです。会話の練習に熱中する前にしておかなければならない大切なことが、いくつもあるからです。会話力がつくのは結果であって、それ自体は目的ではないのです。
私が普段「会話」中心に英語生活をしていないのも同じようなことをおもっているからです。話す内容が自分のなかになければ意味がないし。音読は好きですが、それだけではやっぱり煮詰まってしまいます。だから楽しく読書を続けています。で、延長上に話す必要性のある時に英語をアウトプットするやり方です。これは人それぞれかな?

現在多くの学生が望む「会話ができるようになる」、つまり何についても自由に英語で話せるようになるためには、じつは殆どの人がいらないと思っている読書、つまり英語でかいたものをよむことも大切なのです。
英語でも日本語でも本をたくさん読む人の文は違うと言われていますよね。借用はやっぱり必要。で、私の大量の英語読書はいつの日か日の目をみるのか?(笑)

英語は教育のすべての段階で、やりたい者だけがとる選択制を導入すべきでしょう。
これは私も教えていてよく思います。でも日本では英語は他の教科より人気なのが現状ですね。実は入試がそれを支えている。

日本人が、白人の米国人から英会話を習うときにしばしば起こることの第一は、相手が要望などの点で日本人的でないために、自分と相手との間の社会的距離感がつかみにくいので、安定した心理状態を保てなくなくなってしまうことです。その結果として、普段の自分と比べて落ち着きがなくなったり、どきまぎするなど、要するに上がってしまうのです。
これは若い人よりも大人の人に多いんじゃないかと思います。最近の子供はそこまで上がらない。学校現場でもいろんな国からいろんな人種の先生がやってくるので、白人至上主義は少しかわってきているかもしれません。

学生が望み、社会も必要を感じている、英語の高度なコミュニケーション能力は、教室でほんの少し、外国人の指導のもとに会話や討論のまねごとをしたぐらいで、身につくものではありません。
あはは。その通りですよね。週に1回で英語が使えるようになるなら、みなこんなに苦労してませんね。なんでそれがわからないで学校英語をみな責めるのか私はいつも不思議に思います。

これだけでこの本の全容はわからないかもしれませんが、極端すぎると思うような意見があったとしてしても、真剣に日本の英語学習の行く末を憂うているのがひしひしとわかりました。私は英語教師なので、参考になるTipsもありました。

今の日本ではもういろんな「英語」があふれていて、「使える英語プロジェクト。英語は英語で授業して、子供たちに英語を発信させる機会を」と中学校で言われると思ったら(高校でも)、「英語話せないけど、高度な日本語訳や英語訳が必要な大学受験の英語」と高校生になると急激な方向転換を求められたり。「とにかく資格試験に合格して、高得点とらないと意味ないよ英語」とか、「ややここしいことやるからダメなんだよ、ちょこっと話せればいい英語」とか、「アメリカ人やイギリス人みたいにネイティブを目指そう英語」とかね(笑)どれもどうも?と私は思っていますが、どれも要求されるので困る。もちろんこれをネイティブスピーカーの先生が全部できないのが日本の英語。日本の英語の先生はほんとに無理難題を強いられているわけです。

ひとつひとつを「おかしい」と思っても、全体で「おかしい」と思っていないのが現状です。だから上のことをほぼ全部できるということは、けっこう「英語の達人」であれと言われているのも同じだなと思っちゃいます。

TOEIC満点近い人全員が京大の入試指導できませんからね。予備校の英語の先生全員が英語ペラペラじゃないですからね。でもってTOEIC満点近い人と、予備校の先生が普段英語で小説読んでるかって?大学の先生でも英語で論文かけても、英語で授業できない英語の先生がいるのが日本の現状ですからね。高校なら言わずもがな。物理的にもかなり苦しい。

英語で授業ができて、東大京大の入試指導ができて、TOEIC満点近くて、英検1級持ってて、ネイティブスピーカーとやりとりが難なくできて、英語の小説年間何十冊も読む英語の先生。これに「教えるのがウマい」というのが加わらないと意味がなくなりますね。

そんな先生いたら誰でも欲しいですね。なるほど。

久々にまたちょっと辛口なブログになってしまいました。授業の準備せんかいって感じですね。ハイ。

完璧にほど遠い私は努力しかないです


結局これも読書日記ですね(汗)スミマセン。
明日もがんばりましょう。

読んでいただきありがとうございました。

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