TOEIC受験の意味

今日もお越しいただきありがとうございます。さ、寒いですね~。北の方々大丈夫ですか?あたたかくしてくださいね~。

今後TOEICを受け続けるのか、950点、990点を目指すのか、試験の位置づけとは?というご質問をいただいて考えてみました。今思ったことをつらつらと書いてみました。また気持ちがかわるかもしれないけど、今の心境です。いや、今回の試験も900点あるかどうかわかんないですからね(笑)受験は今後もするとは思います。でも自分を引き締めるつもりでこれを書いています。お気に触ることがあったらすみません。

英語教師で念願の英検1級に合格し。なんとなく洋書もなんちゃって読書として楽しみ。間違えだらけであろうと、英語で「なんちゃって会話」を楽しむ日々。でも毎日「まだまだだなあ。全然言ってること(書いてること)わかんないよ。」なんてことも多々あります。きりがない。

最初は「英語力をつけたいから。」「就職にいるから。」「英検1級までのブリッジ」「職場で英語力生かしたいから」といった理由でみなさん資格試験をうけますよね。それは本当にいいことだと思います。客観テストにさらされてきた私たちの気質にピッタリくるこのテスト。しかも不合格はない。だから「次はもっと取れるかもしれない。」とつい何度も受けてしまいます。はまっていきますね。

合格がないという点での欠点。「このままうけつづけなければ英語力が落ちるかもしれない。」「連続で満点とってこその実力」そういう方々がカリスマ視されるのもわからないではないです。確かにあれは相当な努力の結果。

びっくりしたのは、TOEICを受けているのをブログにUPしたとたん、アクセス数もUpしている事実です。それぐらいTOEICの影響を感じます。英検より何倍も受験者がいるという事実ですね。英検は「はい、振り出しに戻り。一から出直しな。」という感じなので、挫折者もTOEICより多い。人によっては「問題がマニアックだ。」という方もいらっしゃいます。TOEICもかなり偏りあると思うんですが、「読みやすい英文」でごまかされていますよね。文法問題も決して簡単じゃないです。

TOEICが900点以上あるからって英語がぺらぺらってのも幻想だと思います。難しい京大の2次試験を満点とれるからって英語話せるか?英検1級にじっさい受かる人がすべてTOEIC900点以上なのか?ちなみに私は1級合格時900点持ってませんでした。逆に900以上持ってても1級に苦労される方だっていますよね。一つの定規では実際には測れません。

私は夫に前回「もう900点を超えたんだから、もうやめとき。連続で受けなくてもたまに受ける程度でいいんとちがう?やることはほかにある。」と言われていました。

そうなんです。試験を受け続けて、「次は900点越え、そしてその次は950点。そして満点。」そうした気持ちはだれもが持つものだと思います。私だってその誘惑にもちろんかられます(笑)

しかし、昨日から立ち止まって考えてみました。ミイラ取りがミイラになってないでしょうか?資格試験はあくまで手段。スコアを目的にしたら最後。「満点連続何回」の世界です。

この前たまたたま子供と行った図書館で読んだ漫画(笑)に一人の初老のおじ様が登場しました。彼はいわゆる「資格マニア」。ありとあらゆる資格を保持しています。最初は会社の役に立ちたいと一生懸命仕事関連の資格を取り始めますが、それがかえって仇になり窓際族に。たまたま出会ったフランス料理店のソムリエという仕事で生き生きし始めます。でも目的はソムリエの資格。で、万年とれずにいるというなんとも味のあるおじ様です。私はこのような人は日本にたくさんいるだろうなあと思いました。私もその一人であるかもと思うと複雑な心境になりました。

私は英検をとったあと、「また1級受けないと実力が下がる~。」と焦ったこともあります。
でもそのあと、大好きな映画をたっぷり見たり、英語で本を読んだり。そちらにすそ野が広がりました。

英語をもっと上手に教えられるように。その世界を広げられるためにこその資格試験。試験勉強だけをしていても世界は広がりません。

日本語でも英語でもその人の教養はその人の歴史でもあります。教養がいつも足りないと思っている私でもありますが、そんな私でも「ああ、あの映画よかったよねえ。感動した。あれで1920年代の様子がちょっとわかって興味がわいたなあ。」とか。ネイティブと話をするときに、「この前こんな本読んだ。おもしろかったよ。」「へえ。どんな話?」と話が弾んだり、映画の話で盛り上がったり。日本のことを説明してみたり。でもものしりになることが目的になるのもおかしいですがね。これまた一緒になってしまう。

その種の話題はTOEICの試験問題といているだけでは得られません。英検の長文問題は難しいですが、実際のどこかの記事を持ってきていると思います。けっこうためになるのもあります。でも苦しかったですがね。そういう意味ではビジネス関連の方々はTOEICは理にかなっていますね。でもそれを英語全般の物差しとするにはちょっと違うかなとも感じます。

私は長年英検1級に苦しみましたが、1級だけの勉強だったらとっくに一抜けていたと思います。試験前以外は英語読書をそれなりに楽しみ、大好きな映画を楽しみ。仲良くなった人と英語で話す。もっと上手になりたいといった刺激があったからこそ。そして不安定な職業のために資格が必要だとおもったからこそ続けられました。

「英検1級を持っているからエライ」「TOEIC高得点を取得したからエライ」「洋書をたくさん読んだからエライ」
目に見える数字や事実で人はそう思いがちです。でもそれは「○○大学出身だからエライ」につながる同じ種類の匂いが私にはします。

えてしてそういう確固としたものに頼ってしまう気持ちを持ちながらも(人間ですからね)、一番大事なことはその過程に至るまでの努力にあると思いたいといつも思います。だからわたしが受験者のみなさんを応援するのもそれが理由です。「受かった人より、受かるまで頑張っている人のほうがエライ。」がんばっている過程そのものが大事。それが準1級でも、TOEIC500点でも、700点でも。今がんばっている過程が大切だと思います。

子供に英語を教えていて。つねにつきまとう疑問「なんで英語勉強するの?」
大学受験というハードルを持ちながら、英語の楽しさを伝える難しさを、矛盾をはらみながら今までやってきました。現状は「使える英語」を推進する中、「もう入試英語に文学はいらない。論説文でいい。」とロジックの世界が広がり、英語を操ることにフォーカスされてしまっています。それが今のTOEIC熱にも拍車をかけてるんじゃないかなと思います。

字幕で英語を見ず、日本語でハリー・ポッターを見る子供たちにどうやって「英語」の楽しさを教えるか。
英語で読んだ文章の感動が日本語と同様本人の人生を豊かにすることにどれだけ貢献するか。
それを伝えるためにも私は努力しています。

資格試験はあくまで手段です。でも最強のツール。それをうまく利用してもっと世界を広げる。
というスタンスをこれからもとっていきたいと思っています。

大事なのは英語を操る力や流暢さではなくて、中身だといつも思っています。
何かを伝えたいと思うエネルギー。それなしにはどんな言語も意味がないのではと思っています。
言語を通して何かを得ようとすることが目的でありたいです。それを忘れない自分でありたいです。

やっぱり、楽しみながらやるのが一番ですよね。

もう音読始めましたか?(笑)
私も明日から「音読パッケージ中級」はじめてみようと思っています。
今日頼んだら、アマゾンさんが今日持ってきてくれました。は、速い!
一緒にやってみますか?明日はとりあえず全部聞き流してみます。
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今日も読んでいただきありがとうございました。
明日も英語がんばりましょうね!