怒涛の英検1級奮闘記第三弾もこれで終わりです。やっぱり5年前、1年前より体がしんどかったです。今年は一番仕事が増えていたのもあって、さらなる挑戦となりました。ながら、隙間が大活躍。途中からまた違う滋養強壮剤を教えてもらって3つ飲み続けて戦闘能力をなんとか維持しました。体力なんとかしなくちゃね。
2度目に挑戦した時は2回落ちてやっと1次を突破しました。それぐらい大変な試験なんだと覚悟をもって今回はやりました。決めたからにはやり切る。おかげで声がちょっと出ない。周りに風邪ひいてると思われています。あまりに増やした音読が原因です。喉を休めるやり方にそろそろ変える予定です。→単に週末にエンタメしようとしているという噂も(笑)
自分に課したノルマを毎日コツコツやる日々で、やっている内容を英検仕様に変えてやったのはもう書きました。
軽々と受かったとも思っていません。
それどころか、ものすごく真摯に向き合ったと思います。1次に惜しくも点数が届かなかった方々のことを思うと、身の引きしまる思いでやりました。すでに1級を保持しているものとして、1次合格したからにはベストを尽くすことが大事だと思ったし、内なる自分との闘いでもありました。
いくら合格の経験があっても、それでもなお学びがあり、自分のやるべきことを見出し、勉強する自分に出会いました。他人ではなく、過去の自分を追い越そうと頑張りました。
資格を取ることだけがゴールではないことを再度確認した今回でした。
一生英語漬け。
ひっそり始めたこのブログ、今では旧ブログの読者を超えるほどになってしまいました。あ、そんなにたいしたことはないですよ(笑)
でも、やっぱりひっそりマイペースです。「angelさん、今日も来たよー」というような気持でブログを訪問してほしいなあというのが本音ではあります。
常に大事にしていることは、ブログが生きることです。
私のブログは長文です。よくぞ最後まで読んでくれる人がいるもんだと自分でも思います。
そして、私のブログの特徴は「後でもよく読まれる特定の記事がある」です。
特に1級奮闘記や勉強に関しての記事はすごく息が長いです。旧ブログにたくさんの人が来てくださるのも、そのおかげ。そして英語読書日記も作品名で検索して来られる方が多く、そこから読者になってくださる方もいらっしゃいます。
アーカイブが読まれています。
人間ですから、書いていることがだんだん古い情報になったり、やっているうちに自分の中で変化も起きてきて、また別の意見を持ったりももちろんしています。成長だって多少はしてると思いたいですしね。
よく、コメントで「どうしてそこまでできるんですか」と書いてくださる人もいらっしゃいます。できない自分と戦っているからというのもあるんですが、悔しい思いや、恥もたくさんかいてきましたしね(笑)
やっぱり、自分の勉強したことを還元する場所があるからだと思います。
それと、ブログを書く根本になっているのは、自分が英語を教えているからではないかなとよく思います。
誰だって、自分はこれぐらい頑張ったということを書いてみたい気持ちがあると思います。私もその一人としてブログを始めました。それから自分が苦しんできたことを誰かが悩んでいて、少しでも軽減できれば願ったりかなったり。
でも、それをただの「エヘン、見て!私すごいでしょ」という領域を超えるにはどうしたらいいのか。誰かの助けに少しでもなるには、ということを常に念頭に置いて書いているつもりではあります。
ブログですから、もちろん自分の気持ちを書くことが中心になります。その中でも、自己中心的すぎる記事を書くと、その記事はあっという間に流れて行って、アーカイブとしては読まれない記事となるのも何年も書いてきてわかってきました。自分だったらそういう記事は一瞬、検索した情報だけを読んだとしても、読者にはならないから。
自分のやってきたことを自分の中で咀嚼して誰かに伝えたい。誰かの役に立ってほしい。ここで自分の頭の中を整理しながら、こんどはそれが授業でもっとコンパクトにまとまって出てくることもあります。
教えることは学ぶこと。
実際に教えている子たちも、「この先生は自らが頑張っている。いろんなことを教えてくれる」と感じると目が変わります。完璧じゃなくても、ともに頑張る姿を見せること自体がもう教えているこということなのだと何年も教壇に立って得た教訓です。
それをブログでも実践したい。
読んでくださるあなたもある意味、一瞬でも、私の大切な生徒の一人なんです。ご迷惑ならすみません。あ、立場が違うとかじゃないですよ。どうやって英語をやろうかたびに出てたまたま、私のクラスに迷い込んで来られたおひとりみたいな。それか見学に来られた先生とかね。
なんだか教える生徒を、ともに教える先生を選べないのと似ています。どんな生徒にも、相手にも誠意をもって接することが大事。だからブログでも誠意も持とうと思って書いてはいます。ときどき崩れるのはお許しください。
そしてだんだんとそれが同志になり、友人になる。いや、時もある。バーチャル空間で過ごす年月が長くなればなるほど、自分が苦手な人が出てきもするし、もちろん誤解があったり、怖がられたり、避けられたり、遠巻きに見られたり、暗に攻撃されていたり、嫌われることだってあります。一度は熱烈に扱われても、だんだんと離れてく関係も多いです。自分が透明人間になったような気分なこともあります。
人間関係に悩む。それは実生活となんら変わりない世界ですね。万人に好かれようなんてことを考えると病気になっちゃいます。
50歳になってもまだいろんなことを思い悩む自分。ブログでも時々書いちゃうことだってあります。
自分が大人を見て過ごしていた時は、大人になれば、こういうことも達観しているのだと思っていました。でもちっぽけな自分に悩む姿がいまだにあります。
ふと思ったんですが、私のことを好きじゃなくて読みに来られている方々にも、なにか益になることがあるから読みにこられるんだと、ある日気がついてから、なにか心にすとんと落ちるものがありました。
ある意味必要とされている。
役に立てばいいんだ。
それがこのブログのいいところ。反応がない、目に見えない相手にそれを思って書くのは確かに難しい時もあります。でも、自分の書いたことが誰かの役に立つことが目的であることを忘れてはいけない。それが誰であれ。期待を少しでも減らそう。自分の感情の方向を勉強する方向にもっていこう。そしてそれを綴ろう。そう思って書くようになってからは、少しは気分が楽になってきました。
それにそんな人はほんの少数に違いない。時々それを気づかせてくれるのが、このブログです。
そうやって過ごすうちに、明るく暖かい、やさしい家族は言うまでもなく、こんな変わり者の私を理解してくださる人たちに、コミュニケーションできる人たちに、実生活でもバーチャルの世界でも囲まれている今の自分は結構果報者なのだと思うに至りました。
実生活では、英語を勉強しすぎてもとがめるどころか、かえって応援してくれる心の広い夫。ベテランの高校の英語の先生です。国公立にたくさん生徒を送り出す超進学校で教えています。たくさんの同僚の先生や生徒に愛される夫を尊敬もしています。仕事しすぎなのがちょっと玉に瑕ですが(笑)週休0日はやめてほしい。
最近は学校で習った単語を並べて英語でちょっとへんな英語を話しかけてくれる娘。(最近やっと「生きた英語質問箱」として価値を認められつつあります(笑))大好きな図書館で毎日のようにたくさん本を借りてきてマイペースな日々を過ごしています。
英語を勉強し続けることが私の仕事だとあきらめ気味で、サポートしようとしてくれる80才を超えた母。献身さを見習いたいといつも思います。
職場でも、英語の疑問の情報交換、いい教材の情報交換、試験のアドバイス、映画やドラマの話、そしておいしいお店の情報やら、と取り混ぜながら、子供たちにいい英語環境を与えようという一体感もあって、そしていつも笑いのあふれる職場に恵まれて、「先生に出会えてよかった」と言ってもらえるうれしさ。
教師としては接点の少ない非常勤講師ではあるものの、生徒が「先生、相談に乗ってほしい」「英語教えてほしい」「英語で話しかけてほしい」(逆もあり(笑))と言われるとうれしくて、うれしくて。子供たちのこわばった顔が笑顔に変わるのがうれしくてうれしくて。
行き過ぎの言葉の暴力に対して、疲れている子供に声をかけたときの笑顔が見たくて。
それから、バーチャルでも、
「angelさんが以前に『問題文にたくさん線やマルを入れよう』と書いているのを思い出して読解問題を解いたらずいぶんできるようになりました」とか、前にも書いた「リスニングを聴いていてangelさんを思い出した」「試験会場に行ったら、angelさんを思い出した」と書いてくださることがどれほど私を感動させているか。あと「勉強するために喝を入れにまた読みに来ました」なんてのも。他にも本当にたくさん。
「ああ、ブログが生きている」と感じる一瞬。書いてきてよかったと思う一瞬です。思いが伝わったとわかる一瞬。
いろんな方が返事をかかないのをわかってつぶやいてくださるコメントは私の宝物です。こんな不器用な自分の書いた気持ちに応えてくれたと、一日が嬉しいものに変わります。
そんな方たちに囲まれていたからこそ、勉強も続けられたし、ブログも書き続けることができました。だから今回も合格することができたと思います。
いつもいつも、雨の日も風の日も、励ましてくださる方、体をいたわってくださる方、自分も頑張ろうと決意を新たにしてくださる方。英検の報告をくださる方、自分のやり方や貴重な情報を教えてくださる方。あげるときりがありません。
私はその一人の方のためだけにブログを書くこともあります。その人を思って書きます。コンピューターの向こうに読んでいるあなたを思って書き始めると、時間を忘れて書いてしまうことも。
それがたまには、たくさんの方の心の琴線に触れることもあります。それもブログが生きた一瞬です。旧ブログでも何百拍手もいただいたことあって、本当に嬉しいです。
このままでは、ストレスがかかりすぎると思ってこのブログに引っ越してきました。
そこからかなり心が引きこもり状態になっていました。
徐々に、自分の中にも変化が起きて、少しずつですが、交流も始めました。こう見えても(どう見えても?)結構気を使うタイプで、一気に対応できないのが玉に瑕ですが、なんとか頑張るようになりました。
良かれと思ってやったことがあまりうまく伝わらず、めげそうになる時もありますが、そういうときは音読して(笑)すぐに忘れるように努めています。相手のためにやることに意義があるのであって、相手の気持ちは相手のものですからね。
日々の忙しさの中全部はなかなか実現できませんが、できるときにできるだけ。それでも自分の中では変化だと思います。小さな、平凡な日々の幸せをかみしめながら生きています。バーチャルの世界でもやっぱり不器用なりに思いやりをもって接したい。
人付き合いが上手じゃない、不器用な、こんな変人でもブログを書いて誰かの励みになるかもと思い続けて今に至ります。
生きづらさを感じているのは自分一人ではないはず。
このブログは英語ブログですが、英語のレベルの優劣を思ってかくのではなく、試験の合否でもなく、点数でもなく。ましてや英語という言語だけでなく、
英語を通して知り合ったものとして。できる人が偉いのではなく、
その過程の努力にこそ一番大事なことがあるんだということを常に思っていたくて書いています。できない自分を抱えながらできる自分に出会うための旅を続ける。
そしてまたてくてくと歩き出します。ゴールはないのを知りながら。
一瞬一瞬をかみしめながら。感謝しながら。
ブログを書いてきてよかったです。
毎度のことですが、お礼を言わせてください。あなたがいるから、私はここまで来れました。拍手に、コメントに支えられて来れました。
あなたのおかげです。
ありがとう。
ずっとあなたを応援しています。少しでもこのブログがあなたの英語の助けになることを願っています。
また新たな気持ちで始動です。
また一緒にがんばりましょうね!
おまけ

勉強している間ずっと膝の上で応援してくれていた?我が家の強力な癒し系応援団長からも
お礼申し上げます。(ほかに「おもろ系」もいます)最近は猫の様に日向ぼっこが日課になっています。小さな小さな片手で抱ける命。でも大きな命。私の膝の上にのって、時々私のことを見上げる瞳が「ママ大丈夫?」と言われているような気分に何度もなりました。この子がいたからめげそうになった時ももうひと頑張りできたときもありました。ありがとね。
2015年11月
angel
お返事できない非公開としてコメント欄をつけさしていただいています。カウントは常に(0)ですが、ちゃんと届いています。いただいたコメントはいつも感謝と共に大事に読ませていただいています。ご了承ください。