一人夏期講習11日目 音読 Ultimatum?

今日もお越しいただきありがとうございます。コメントありがとうございます。

ブログを書き続けていると、時々スランプみたいなものに陥ります。体も時々ついて行ってませんしね。

でもね、ブログを書き続けているから救われる部分も多いです。

あなたが助けてくれてるんですよ。

ちょっとしたことを呟いてもらえるだけでもどれだけ私の一日を明るくしているか。それが誹謗中傷でない限り、ほんとうにうれしいものです。

今はハイペースですが、期間限定です。でも喜んでくださってる人もいるかと思うと、救われます。感謝。

さて、今日は考え続けてきた、質問に腰をすえてかかっています。

他言語で音読を取り入れてらっしゃる方からの質問です。

音読が大事ということは外国語を学ぶ上で共通の重要課題だと思います。最近はまた単語の練習を始めてみました。しかし、やはり要領を得ない・・・・。会話もさることながら単語を覚えるのとリスニングとの絡め方ってどうされているんでしょうか?やっぱオーディオブックみたいなので文字と音声を確認しながら進めていくのがいいのでしょうか?それに、覚えた単語を実際に使うって、なかなか難しいですよね。総体的に底上げできるとうれしいのですが。

ご本人のコメントの一部を載せさせていただきました。ご了承ください。一言でアドバイスをとあったんですが、回答がいろんな方向に行きそうで、一言では答えられそうになかったので、考えていました。

たくさんの方が同じような気持ちを持ってらっしゃると思います。音読の輪広がってうれしいです。私はただの一学習者ですが、求められるお答えが書けるかどうかはわかりませんが、 よければ一緒に考えましょう!

ただし、ここで書く内容は人によっては非効率に思えるかもしれません。これでテストが受かるとか、高得点がとれるというのの極にあるかも~。テストはテストの対策をするのがいいかも。


書くなら自分でちゃんと体感してからと、1冊本を終えることを自分に課していました。お待たせしてすみませんでした。

これ、
ええっと去年からやり始めて、今日4巡目をおわりました。これはシリーズもので、3巻目です。去年でたもの。なんでもいいんですが、新しめの話題のものを選んだだけです。

回数は去年は20回ずつを2回。春からは10回ずつ2回おわったので、全部で4巡してひとつの英文につき60回音読したことになります。

他に音読しているのはご存じ

こちらですね。これも毎日1回。朝お経を唱えるのと同じ感じでです(笑)これは2年ぐらい?唱えているような気がします。もう忘れました(笑)

その他にボキャブラリーとしていますが、単語の本もなるべく毎日唱えています。これは200回ぐらい読んだかな。


このところの3つの柱です。長文、構文(文法)、語彙、で3つの柱にしています。

3つとも違う役割ですが、相乗効果があります。

お気づきだと思いますが、語学は使えてなんぼです。使えるには総合力が必要です。語彙もしらないといけないし、文も組み立てられないといけない。最低でも一つ、長文か短文が、運用能力をあげるのに必要です。単語だけでは単語レベルでしか使えなくなります。組み合わせの相性や語法もからんできます。だから文が必要だと私は思っています。

読む文章はやっぱり意味がわからなければ意味ないです。なんのこっちゃ。知らない言葉を感情こめて話せないはず。だから意味をわかったうえでやる、多少レベルが上なら、わかるまで読み込むことです。

覚えた単語を実際に使うのはやっぱり使う量、書いたり話したり量、機会がなければどうしようもないです。その疑似状態を音読で作るというのが音読の強みです。毎日読んでるものは忘れにくい。


で、ご質問にはいろんな要素、会話、リスニング、とありますね。

すべては「文」単位です。そこが肝要。

文単位でその中に多少しらない単語があっても(たくさんだとレベルがあってないことになります)塊で覚えていけば一石二鳥であることはもうお分かりだと思います。

まずは自分にあった教材が必要じゃないかなと思います。やってらっしゃるものがあまりに難しすぎるようだったら、レベルを多少下げたほうが経験上効果は高いと思います。

ただ、あまりに簡単だと、今度は飽きてくるので、難しすぎることなく、簡単すぎない。で、ちょっと背伸びもしてみようというコンセプト。チャレンジする気持ちも持ちながら、それを自分のレベルにしてしまうということです。上の教材はそうやって自分で選んだものたちです。今使っているのがこれであって、今までいろいろなものをやってきました。ブログに死ぬほど書いているので、ご存知の方も多いはず(笑)

これに音源を利用して、シャドウイングしたり、同時に読んでみたり、リピートしたり、

音なしで素読したり。

素読の方法もやってみましたが、普通の音読、速音読、語りかけ(演技をつけて)音読などなど、いろんな方法をやっています。

音源があるといいのは、リスニングや発音に効きますね。真似だけでもある程度矯正は可能です。

読んでみて、速度についての気づきもありました。私は普段どんくさいのもあるんですが、バタバタしています。朝仕事に出るまでになんとか1冊読むこともあります。そうなるとおのずから読むのが速くなります。速度があがるんです。

速度が上がるとどういうことが起こるのか。ゆっくり読むのと、速く読むのと交互にやってみました。
速音読は、意味がすごく頭に入ってきます。ふつうの速さだと気がそがれがちになって意味がとりにくいものも速く読むと気がそがれにくくなっているようです。

それはどうも普段本を読むときに効果を発揮しているかもと思うこともあります。目だともっと速く読みます。で音をそれにくっつける作業は内容をもっと立体的にとらえる=書いている内容が聞いてもわかるということになるのでaudibleも多少は楽に聞けるようになったのかもしれません。


逆にゆっくりだと一つ一つの単語に意識がいくので、発音に注意するようになります。

また「語りかけ」音読は、その応用で、もっと抑揚をつけて、速さも単語で変えて、強弱をつけるので、スピーキングの練習になると思います。

大事なことは文単位だと書きました。それでリスニングもリーディングにもつながっていきます。もちろんスピーキングやライティングにも。

たとえば英語でつぶやきを書いていて、英語で話してあとでよく気が付くんですが、無意識に上の本の英文の一部を流用していることに気が付きます。暗記したものを思い出すのではなく、口からついて出る感じです。それから、毎日読んでいる言葉を流れてくる英語の中で聞くと、脳みそが反応するんです。日本語の意味がうろ覚えでも起こります。で、調べて定着するということも多い。また調べなくても英語をそのまま英語でわかることも起きてくると思います。適切な日本語がでてこないけど、言ってることがわかるという状態です。これは多読、多聴をすると養われる力でもあります。その単語にペアでついてくる副詞とかは音読でもある程度わかるようになったりもすると思います。

それから、短文と長文もそれぞれに強みが違うと思います。短文は英文が頭に浮かびやすいので、英作文やスピーキングに即効性があります。長文は文脈があるので、話の流れを把握する力。リスニングや読解問題に効きます。実験的にどちらかを抜くと、見事に結果がでます。なので、両方やったほうがいいというのが今の私の結論です。

全体的に底上げするには、音読はかなり強力なツールだと私は思います。だって一日中その言語を使う環境にどっぷりつかっていられないですから。たとえばオンライン会話をとったとしても、限度があるし、自分の中に蓄積がなければ出てきません。

短文と長文。それが会話調でもいいです。じぶんの目的にあったものがあればまずはそれを読んでみてください。オーディオブックもいいですが、まずは基盤になるもののほうがいいかもしれません。私のオーディオブックの位置づけは楽しみながらの語学です。

音読には欠点もあります。私はそれを短所だとはおもっていませんが、

時間が必要です。

でもほんのちょっとでも効果を感じるとこれほど強いものはないとも思えます。その域まで達するまでが一番大変だと思います。

少しは参考になりましたでしょうか。

あくまで自分が実感していることを書かせていただきました。そして私もまだ勉強中の身です。自分が英語ができると思って書いていません。自分の英語聞くのいやだし(笑)これからも勉強をつづけて、じぶんなりにやり方を模索しながら行くと思います。またそれが語学の勉強だとも思っています。完成はないです。母国語ではありませんからね。

さて、

長年の受験主導型の教育を受けた私たちが、「これはテストに出ない」と捨てているものにお気づきでしょうか。

それは非効率というものです。読書ブログで以前に「役に立たないこと」というタイトルでも書きました。

効率の悪いものがいつも悪い勉強法でしょうか。

そもそも、私たちが使っている日本語は効率のいい言語でしょうか。完成させるのに非常に時間のかかる言語です。ひらがなとカタカナと漢字を覚えないといけない。いまだに漢字なんて自信ないです(笑)

思うに、英語でドラマを見たり、映画を見たり、本を読んだり、聞いたり。どれも実は非効率です。効果音や、音楽は言語じゃないですしね。映像だけで理解できるものも多い。アクションはセリフが少ない。

でもその中にこそ、手に入れたいものがある。

それに気が付いて、夢中になったり、コツコツやる習慣をつければ、もう手に入れたのと同じです。

洋書が難しすぎれば、簡単なものからはじめればいい。映画がレベルがたかければそれをできるようになるにはどうすればいいかを考えることです。それが人によっては英検だったり、TOEICだったりする場合だってあります。

通過点として利用できるものはすればいいだけです。点にとらわれすぎなければいいだけです。点数が最終ゴールだと思わないほうがいいと私は思っています。合格にあぐらをかくとひどい目に遭います。私がそうでした(笑

要は使えばいいんです。毎日ね。

そのために音読を利用している。実際に会話をしていない時も疑似空間を自分でつくるため、型を自分に定着させるため。

それがどんな方法でも、やり続ければ自分の型になっていきます。私がそうであったように。

よく書くんですが、あなたが「これが続けられる、これがやりやすい。これが好き」を追及して下さい。そんな本を探していてください。本じゃなくても、ネイティブスピーカーとの会話でも、ニュースでも、ドラマでも、映画でも、本でも、youtubeでも、なんでもいいんです。それを何度も何度も覚えるほどにまで繰り返したり、演技して見たり、使ってみる。自分で小テストしたっていいし、なんだっていいんです。

繰り返し。暗記を意味するのではなく、自分の一部になるまで。

言葉が自分の中にしみこむまで。

最後にこういうことを書いて申し訳ありませんが、万人にとってベストは方法はないと思います。

自分で自分のベストを作ることを、努力することを怠ってはいけません。耐えてみる、いや、変えてみる。どちらにしても、やりかたやタイミングは自分で決めることではないでしょうか。その自分のやり方を模索するのに、人のやり方を参考にする。それでいいと思います。

まずはマネからはじまっても全然かまいません。そこから自分のものにできるかどうかが一番大事です。

なぜこういう厳しいことを書くのかというと、普段教壇に立っていて、最終的に伸びる生徒は、

「自分なりに方法を極めた」生徒がほとんどだからです。

学校の方針に従って、やっていれば宿題をこなしていけば、特に私立では受験英語に対応できる力の付く子がおおいです。

でも、それだけでは頭打ちであることも事実なんです。

あまりにもガチガチに先生のやり方に従って、マニュアル通りに進むことに危惧を感じています。

本当に伸びる生徒は、
「先生、あの映画観た。もっとわかるようになりたい」「先生、英語の本読んだ。もっとたくさん読めるようになりたい」「先生、ホームステイで悔しかった、もっと話せるようになりたい」と自ら果敢に難しいことも進んでやる子たちです。そういう子たちは宿題を凌駕して、その上に自分のやり方を編み出してどんどん情報を蓄積して消化していきます。目的があると目が違います。でも、残念ながらそういう子はあまりたくさんいません。

やりたいと心から思えば、がむしゃらに進めば、あきらめなければ必ず道がひらけます。

どうか渾身の力をこめて書いているこの言葉があなたに伝わりますように。

言語が違っても歩く道は同じです。みな平等。

よければ一緒に頑張りましょう。

読んでいただきありがとうございました。

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